「ブログに生成AIを使わないなんて正気か!?」
など、
なぜ、AI時代に逆行した流れをこのブログは貫こうとしているのか?
気になる人もいるのではないのでしょうか。
詳しくはナオの当ブログは生成AIを使用しませんを見ていただければ分かるかと思います(俺は手抜きで行くw
俺の意見を載せましょう。
反AI主義ではないんですが、AIを使った記事がつまらないからです。
無難すぎます。
人間味がない。
トゲがない。
面白みがない。
つまんねー、です。
ナオはAIっぽい記事を書きますが、生身の人間の書いた文章なので良いでしょう。
どんなにきれいな文章を書けても、人間は読みづらくても、生身のある感情が入った文章の温かみに惹かれやすい。
以下、例を出しましょう。
あいされて、育てられたかった。
朝起きて、涙が頬を伝った。
「もっと、たいせつにされたかった。」
ほんの一瞬見た夢は、どこか遠く、温かい家庭の姿だった。
家族が談笑してテレビを見ながら、美味しい食事を食べる。
そんな普通の生活を本当は、送りたかった。
生きるのが苦しいなんて、毎朝のように思いたくなかった。
確かに、AIにシチュエーションを出せば、上のような文章を更にリライトしてそれなりの文章が生まれるでしょう。(とはいえここで書いたのはナオの心境そのまま書いたw)
AIに共感してもらっているからこそAIは使われるサービスですが、それこそ元の学習した文章に人間味が備わっているからではないのでしょうか?
AIがいくら優秀でも、人間が文章を書くのを一斉にやめたらどうなるか?
考えてみるとゾッとしますね。