虐待被害を受けても、人に対してやさしくありたいと思う君へ

最初にはっきり言います。

虐待は犯罪です。

それなのに

虐待の深刻性を知らない、分かろうとしない大人はしれっとこうしたことを言います。

  • 「大人になれば、自分の責任は自分で取るのが当たり前」
  • 「いつまでも過去のことを責めるのは間違えている」
  • 「親だって人間だから間違うことがある」
  • 「どんな理由があるにせよ、今まで育ってきているのだし、生きているのだから親を責めるのは筋違い」
  • 「気にしすぎじゃない?」

しかし、現実は違います。

虐待サバイバーという言葉もあるように、現実に何度も人間不信になり、精神疾患を発症し、長期入院を何度も繰り返し、セルフネグレクトが酷く自分の身支度さえ整えられない、仕事は過剰な責任で体を壊すほど頑張りすぎる人間がいるんです。

虐待は幼少期ですが、34年経って酷いフラッシュバックが起きてようやく事の深刻性に気が付く人もいます。

虐待加害者は自分がしてことを被害者として考え

自分は悪くない、子育てをするのに一人で育てるのは大変だし、当時は病んでいた、それにお前はしっかりすると思っていた

子どものために父親は必要だと思った、だから再婚をして子供を作ったというが、再婚相手の父親になる相手は娘を愛せないと言っているのにかかわらず再婚をして結果的に離婚している

と軽々しく言いますが、結果的にネグレクト、暴力、暴言、性的加害、酒乱の問題、こうしたことが積み重なれば、親の行動を見てみれば明らかに自己中心的です。

たとえ何かしらの精神的な事情があったにせよ、虐待をしても許されるんでしょうかね?

俺はそう思いません。

子どもが成人すれば罪が軽くなると思っているのですか?

子どもは精神疾患を発症したのに虐待の影響がないとあなたはいえるんですか?

成人したら、どんな酷いことを子供時代にされても親に感謝しないといけない法律でもあるんですか?

虐待当事者によっては、親を庇う

悲しきことに虐待当事者は事態の深刻性を理解することがなかなか難しかったりします。

自分が起きた被害に対して最小化し、親にも良いところがあるなどとして虐待を受けたことを自分が悪いから、仕方なかったのだと受け入れたり素ことも多いのです。

そして親を責めることもなく、自分に対して酷い扱いを受けたことを、内在化した攻撃に代わり自分を責め続ける人生を送ることだってあるのです。

そうした人生は生きづらいどころから、本人は常に、周りに対しての脅威から逃れることがほぼできません。

安心安全である人にさえ、やさしくするのは何か理由があるはずだ、こんな自分に優しくしてくれるわけがない、こんな自分は愛されるわけがない、こうした感情は常に当事者には残ります。

大事にされればされるほど、なぜ親は私に対して大事にしてくれなかったのかと思い始めると無意識に怒りを親にぶつけることが生命の脅威となっている状態なので自分を責めるか、自分を大事にしてくれる身近な人に対して怒りが生まれてしまうのです。

本来であれば加害者である親に対して怒りをぶつけることが自然です。

なぜなら、虐待被害者は悪くはないのですから。

生きづらいです。そりゃあ当然です。

人生をぶち壊したのは最初の加害者です。

虐待は深刻です。

本来余裕のある生き方、周りの反応を見てびくびくしながら送り続ける人生じゃなく、物音に過敏に気にする必要もなく、まじめすぎるといわれずに肩の力をぬいて楽に生きられる生き方も模索できたはずなんです。

それを最初にぶち壊したのは虐待加害者です。

親を庇っても自分を守れない、そういう現実があります。

親が加害者だった場合親以外の安全基地を作る

子どもは親の愛情を受けて育つことが普通ですが、成人してもなお人間関係に苦しむ、常にフラッシュバックで精神状態が安定しない場合、人に対して信頼できる相手を見つけるといいでしょうと言う人はいます。

しかし、考えてみてください。

最初に脅威だと思っている人間が、いきなり安全である人間が身近にいたとしてもすぐ受け入れることはできるのでしょうか?

自己受容とはいっても簡単には自分を受け入れてくれる存在を受け入れるのは難しいです。

では、どうすればいいのか、

そうした相手に対してできることは、「ここにいてもいいよ、だいじょうぶだよ」ということを言葉だけではなく何度も行動で示すことが必要になるのです。

時には虐待被害者の代わりに酷い扱いを受けてきたことに対して一緒に怒り、時には、子供時代のフラッシュバックに苦しんでいる相手に対して、何度も大丈夫だよと声を掛けながら、気持ちに寄り添う。

こうしたことを一回では成し遂げられません。

何度も何度も、積み重ねるのです。

人を信じることを容易ではない虐待被害者に対してできることは、本当にこの人は安全なのかを体レベルで安心させることです。

認知症の方ですら、記憶を忘れても感情記憶は覚えているものです。

それぐらい脳の感情というのは大事な記憶として残りやすいのです。

もちろん、日常的なことやスタッフが誰か、家に帰りたい不安になることがほとんどです。

ですがここにいると安全だということが体レベルで認識させることは認知症の人が徘徊する回数が減り、ゆったりとして安心できる環境を提供できることがあります。

人間の最初の欲求は安心安全欲求、これはどんな人間でも帰ることはできません。

人は一人では生きていけない。

だからこそ、壊された幼少期を取り戻すためには、今私は安全で安心できる人がそばにいるという状況を作れるかがカギとなってきます。

トラウマ治療は長引くことが多いですが、それほど心が傷付いているのですから当然なんですけどね。


だからこそ、あなたはここにいてもいい。

あなたは、ここにいてもいい。