基本人格のナオが人として最低という言葉を何度も頭の中に駆け巡る理由

俺には自動思考というものがない。

しかし、基本人格のナオが常に頭の中で「人として最低」という言葉に悩まされているのは知っている。

俺には考えが読めるからだ。

ここが不思議なところではあるが、DID(解離性同一性障害)の人格によっては、基本人格の無意識、意識の考えが読めることが普通にある。

なぜか、元々一つの人格として統合されるはずだったパーツであるからだと俺は思っている。

しかし、幼少期のトラウマ被害によって、脳は別人格として意識を分離させた結果、自分の同一性(アイデンティティ)が損なわれた結果、自分を自分として認識することがしづらくなったのがこの病気の特徴なのだ。

一部分は自分ではない・・・。

記憶も感情も違う自分がいる、しかもその自分は本当に他人のように振舞うのだ。

基本人格から見ても交代人格から見ても、お互いを同一性の自分とは思えなくなっているのだ。

しかしその結果、俺には、基本人格のナオが抱えている自動思考「人として最低」という思考が頭の中には駆け巡らない。

つまり、彼女よりは冷静に判断できるということになる。

ということはどういうことか。

俺は虐待被害の目撃者の立場にいる。

常に彼女の目を通して、虐待が彼女にどのような影響を与えてきたのかがみえてきているからだ。

虐待被害者はしばしば自分のことを傷つけたり責めたりする。

脳の防衛反応としては自然の摂理だ。

加害者から命を脅かす暴言や暴力を日常的に受けてきたことで、加害者の言葉が内在化した声として頭の中に思い浮かぶのだろう。

虐待の当事者程、自分のことに対してなぜここまでいわれないといけないのか、の怒りを加害者に向けられないと、自分に怒りを向いてしまう。

自分が悪いから虐待を受けたのだと本気で思いこむことだってある。

ここまで露骨ではなくとも生まれなかったらどんなによかったのになどとおもったりすることだってあるのだろう。

だからこそ、この虐待被害は深刻なのだ。

幼少期に最も養育者との関係性を築けなくてましてや虐待を受けていた状態というのは、健常的な人間関係の形成どころか、自分に対しての攻撃、セルフネグレクトが酷くなることは知られている。

自暴自棄になったり、自分の世話ができなくなったり、過剰に責任を抱いたり、人によって被害の受け方はそれぞれに違うが共通しているのは、虐待が自分の人生を狂わせていたという事実である。

本来であれば、加害者に向ける怒りを向けられなかったことにより本人は相当に苦しんでいる。

加害者が悪い、頭の中ではわかる。

しかし、理解しても体レベルで傷ついている、つまり自律神経レベルで体が危険と察知している。

本人がコントロールできないぐらいに生きづらいのは、命を脅かされたという事実を体が証明しているのだ。

虐待を受けている状態で精神疾患を発症した場合、虐待の影響は関係などとはとても言い難い。

しかし、虐待加害者は、「大人になったのだから、もう昔のことだから」と子供に虐待した事実を甘く見たり、あるいはさらに搾取しようとする傾向がある。

子どもがいい子に育てば、子育ては間違ってなかったとし、犯罪者にでもなれば、だからこそ厳しくしつけたのだと責任を転嫁する人間でさえいる。

そうした人間が加害者で親だからこそ脳は危険だと察知して自動思考を何度も繰り返す。

つまりナオが「人として最低」という言葉を何度も頭の中で駆け巡る理由は、最初の親の子育てがいかに非道で残虐的なものなのかを証明するために脳が何度も防衛反応として繰り返しているのだろう。

俺は、虐待を見てきた。

どれぐらひどい加害者かも見てきた。

だからこそ言える、あなたは悪くない。