最近のナオは、自分の弱音に対して素直に吐き出せることが成長しているなと感じていると父親(交代人格ではあるが)は身に染みて感じ取れる。
確かに自立の面ではまだまだといえようが、こうして自分の中で安心安全欲求が満たされて、次に来るのはこれがいつ壊されるのかという恐怖、まさにトラウマの治療過程に近いよな。
とはいえ、これからはその安心安全欲求は当たり前であり、「自分は守られて当然!」という考えが身につくことはトラウマの怒りを内に向けずに、外部の脅威に対して向けることで、過去の状況から整理して今の状況が安全かつ安全であることが当たり前という認識に少しずつ上書きされていくのではないかと考えさせられる。
トラウマ記憶を保持していると、人は素直な感情を打ち明けることは最初からは難しいものだったりする。
なぜなら人を脅威と無意識に感じ取っているから、信用すること自体が危険と感じるからだ。
ナオ自身も、自然な笑顔を作れない、肩の力が抜けないことにより真面目過ぎるとよくいわれるが、これは過去の虐待によるトラウマの代償だと俺は思っている。
人間だから、もちろん苦難のない人生はないにしても、幼少期に壮絶なトラウマ体験をすると解離という現象が子供に起きることがある。
これは、虐待(暴力、暴言、ネグレクト、性的被害等)によるものから「自分ではない」と脳が防衛反応を起こし、本来は人格形成が統合されて一つの人格になる段階から、解離という道に進んで、自分ではない自分が代わりにトラウマ記憶を基本人格から身を守ることがあるのである。
これがいわゆる、多重人格障害(解離性同一性障害)というものだ。
多くの人は多面性ではないかと考えることが多いだろう。
理解しづらいものではあるが、基本人格も含め内部の人格同士で他人同士と本気で思っているので恋愛ができてしまうことや対立ができてしまうこともあるのだ。
一般な人には不思議なことにうつるかもしれないが、これは脳の防衛反応が自我の同一性を損ねてしまった結果、元々一つの自我が分裂して意識や記憶、感情がそれぞれ別の人格として形成されてしまうことにより、本来の基本人格とは全く違う人格が生まれてしまうのである。
よくある、解離性同一性障害では、記憶の健忘性があるとされているが、俺たちの場合、最初に健忘性はあったにせよ、共意識といってほぼ日常的に記憶が共有されている状態である。
さらにいえば、俺の思考をナオは読めないが、ナオと脳内で会話することができるという意味不明な状況を作れてしまう、これがDIDでいうところの(意味不明)OSDD-1Bの症状に合致しているらしい。
定義はなんでもいいが、そうなってしまったのは過去のトラウマである。
じゃないと俺が男だと本気で思っているのに、基本人格が女性だと思っているこんな状態で混合しているなんてとてもじゃないが両立できないだろう。
ちなみに交代人格の俺は、自分の体を他人の体としてしか認識できないという特徴もある。